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考察 アーカイブ

2004年07月14日

5日の日記 - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

動かずに運動する方法を模索する毎日。 あばら

2004年10月23日

萌えについての考察 - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

友達のブログに「萌え」についての 考察が展開されていたので、 僕も「萌え」について考えてみた。 というよりむしろ 萌え要素のある言葉(萌え語)を考えてみた。 「爆乳」・・・・一概に萌えとはいいきれないか。 「ロリータ」・・間違いなく萌え。 「メイド」・・・これも萌え度は高。 「ロボ」・・・・これは時と場合による。aiboは萌えないから。 「エスパー」・・魔美なら萌え。伊藤ならヘコー。 どうやら「萌え」は 非現実的なものに含まれる傾向があるようだ。 おや。 もっといい萌え語を思いついた。 「爆乳ロリータメイドロボエスパー」 おお。 これは今までにない「萌え」だ! さらに「爆乳ロリータメイドロボエスパーにゃ」 これはヤバイ。 これをさらに「爆乳ロリータめいどロボえすぱーにゃ」 にすると・・・・・・・・ おおおお!激しく萌え。 結論。 萌え語はどこまでも足し算できる。 適度にひらがなを使うと、より効果的。

2004年10月26日

ハロウィンについての考察 - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

ハロウィンパーティってなんだろう。 「ハロウィンやるからよかったら来て」などと言われると リアクションに困る。 自分が子供のころに習慣としていなかったから 今さらなじめないというのが理由だ。 僕一人ではなく日本人の大多数がそうだと思うのだけど、 いったい誰が子供時代に仮装をして 「トリック・オア・トリート」などとのたまって、 お菓子をいただいた記憶があるだろうか、いやない。 アメリカンスクールにでも行っていれば別だろうけど。 子供時代の秋の思い出と言えば「芋ほり」ぐらいだ。 そして仮装と言えばコスプレだ。 僕のささやかな希望は、 ハロウィンと言う行事が、 扇情的なコスプレをして 近隣から芋をもらう、そんな行事になることだ。 なのでみなさん僕をコスプレパーティに呼んでください。

ブラウン管についての考察 - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

ブラウン管。 という言葉が、いつの日かなくなってしまうのでしょうか。 昨今の平たいテレビの販売促進具合を見てるとそう考えざるを得ません。 てことは、 「山城しんごの姿を見ることができるのはブラウン管の中だけになった・・・」 みたいな表現は 「山城しんごの姿を見ることができるのはプラズマの中だけになった・・・」 に取って代わられるのでしょうか。 おしゃれかも。 すごいぞ山城しんご。あれ?

Tシャツ問題 - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

先日いつもブカブカのTシャツを着ているT君に 「中村くんっていつもぴちぴちのTシャツ着てるよね」と言われました。 僕はSのTシャツなんかもっていませんし、 ましてやXSなんて袖を通したことすらありません。 僕はMがジャストサイズ!だと思っていました。 この件には2つの見方があると思われます。 1、彼は彼のものさしでで世界を判断している (彼はブカブカのTシャツを着ているが、 彼自身はブカブカだと思っておらず、 ジャストサイズだと思っている。 よって、相対的に僕が ぴちぴちのTシャツを着ていることになる) 2、単に僕が太った しかし先の発言の「いつも・・・」という部分を拾うと、 2はあてはまらないように思えます。 つまり、この件は1が当てはまり、 よって僕は太っていないということになります。 証明おわり

2004年10月27日

携帯ウォシュレット - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

携帯ウォシュレット こんな商品があったので、 ウォシュレットについて前々から思っていることを書こうと思う。 ウォシュレットというのは お尻をキレイにするイメージがあるが、 ウォシュレットそのものはキレイなのであろうか。 お尻を流した後に引っ込んでいくってことは ノズルを洗浄する機会なんてないじゃないかってことを、 いつも考える。 毎回ではないだろうが、 まれにブツの破片なんかが、 ペトッと張り付いたりもするだろう。 はたまたお腹の調子が悪くて、 ウォシュレットの刺激でブパッなんてこともあるだろう。 しかし、使っている人はノズルなんていちいち見やしない。 ということは・・・ こういったことから僕はウォシュレットを使う度に、 一抹の不安を感じる訳です。 皆さんも想像してごらん。

2004年11月17日

天然素材 - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

昨日の屁(医学用語で言うところの放屁)の件で考えた。 世の中には天然ガス車というものがある。 ではガスの一種である放屁で車は走るのだろうか。 実際に走るかどうかはどうでもいいが、 夢のある話だと思いませんか? 放屁で走る車。

2004年11月27日

制服とメガネと唐揚げと - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

オリジン弁当の制服(女子の)はカワイクないと思っていた。 帽子にマスク、ひざ下まである割烹着という、 給食のおばちゃんのようなスタイル(以下オリジンスタイル)は ピンク色をしているとは言え、 可愛らしさが微塵もないですよ。 と、頭の中でののしっていた。 が、最近そうとは言い切れないのではと思ってきた。 レジでお金を渡すときに、 ちょっとした拍子にお金を落としてしまったその時のことである。 「すいません」と僕は言う。 「いいえ。大丈夫ですよ」と、マスクのむこうにニコッとした表情が見えたのだ。 その瞬間YMOの君に胸キュンが頭の中で鳴り響いたのである。 オリジン弁当のあのスタイルは、 本当の可愛さを隠すためのスタイルではなかろうか。 いや、それだけではなく可愛らしくない人もカワイイかも・・・ と期待を持たせるというマジック、マジカル、ミスティック。 ではなかろうか。 そこで僕は考えた。 これは少女漫画における瓶底メガネと同じではないかと。 少女漫画におけるメガネはもはや予定調和となって、 メガネをかけている地味なメインキャラはほんとはカワイイ、 という流れがディフォルトになっている。 たとえもし、その地味な娘がメガネをはずさないまま マンガが終わったとしても、 この娘はカワイイという印象を抱くことになるだろう。 つまり、可愛くない格好(この場合メガネ)=カワイイということなのだ。 そのことはオリジン弁当にもあてはめることができる。 オリジンスタイルに身を包むことによって、 本当に可愛かろうが、可愛くなかろうが、 カワイイということにしてしまえる。 そんな力がオリジンスタイルにはあるのだ。 カワイクないのにカワイイ!まさにミステリー。 さて、あなたも可愛くない格好をしてみませんか? 今ならもれなく「カワイイ」と僕が断言します。

2005年01月27日

遅刻 - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

携帯電話があると時間にルーズになってしまう。 何故か。 それは油断にある。 携帯があるといつでも連絡がとれるので、 遅れても連絡できるからまあいいかなどとルーズになってしまうのだ。 携帯を持っていなかったころは 前もって正確な時間と場所を話し合って待ち合わせていた。 「御茶ノ水の改札で」なんて言ったら、 昔なら何口だよと聞き返していたはずだ。 ところが今ではどうだ。 こんなにルーズだと、 なんだか自分が頭を使いたくないのではないかと思ってしまう。 ほんとに油断大敵。 油って太るから気をつけましょう。 ・・・おや。

2007年06月20日

最高のカツ丼理論の広告への応用。そして・・・ - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

かつて日本の推理小説の一ジャンルとして「新本格」というものがあった。 まだあるのかもしれない。 作家名でいうと、綾辻行人とか我孫子武丸とか有栖川有栖とか。 僕なんかは綾辻行人で入って、有栖川有栖の文体がダサくて読むのをやめた。 当時、その作家たちの議論の中で、 「カツ丼」を比喩に使って、 良いミステリとは何かを論じる一幕があった。 議論の筋はうろ覚えだが、 だいたいこんな感じ。 ・・・カツ丼のことを考えてみてください。 最高のトンカツを最高の玉子で最高のご飯の上にとじても、 「最高」のトンカツにはならないでしょう。 ミステリ(推理)小説もそれと一緒なんです。 最高のトリック、最高の文体、最高のキャラクターを合わせても、 けっして「最高のミステリ」にはならない・・・ と、まあなんとなく分かる。 確かに「最高」同士を掛け合わせても、 「最高」にはならないことはよくある。 野球で言うなら巨人とか。 サッカーで言うならレアル・マドリードとか。 CMで言うならdocomo2.0のCMとか。 高い金使ってつまらないCM 最高のクライアント、最高の代理店、最高のキャスト・・・ なのに、あれ? 不思議と最て・・・つまらない広告に。 どこが2.0? と、このように、いろんな業界に応用できるこの理論。 (似たような理論で、 将太の寿司の「最高の海苔巻き寿司理論」もあるのだが、 それはまた別の機会に) 今朝僕はこの最高のカツ丼理論にならって、 ある理論を構築した。 そう「最低のカツ丼理論」を。 最低のトンカツ、最低のご飯、最低の玉子・・・ それらを掛け合わせても、 決して「最低のカツ丼」にはならない! そのことに、直感的に気づいてしまったのである。 まずいモノを工夫して合わせれば、 ひとつづつ食べるよりはマシ。ということだ。 これは真理だ。 「あるイミ」最低のクライアント 「あるイミ」最低の代理店 「あるイミ」最低のキャスト・・・ なのに、あれ? 最低のCMをさっき見たような・・・ ・・・もう少し、サンプル数を集めて、 検証をがんばってみたいと思います。

2007年08月31日

すっぱいまん - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

先日、スピッツの20周年記念ライヴに行った。 うめぼし食べたいと歌う草野マサムネを見た。 さて、スピッツの「うめぼし」という歌だが、 この歌何かおかしい。 うめぼしの歌詞(うたまっぷ) とくに冒頭の部分が気になる。 「うめぼしたべたい」を2回連呼したあとに、 「僕は今すぐ君に会いたい」と続くところ。 これを初めて聞いたのは中学校のころ。 当時から、つねづね思っていた。 なんでうめぼし食べたいと君に会いたくなるんだろう? 最近、年を取ったせいか、 ひとつの答えが見えてきた。 この「うめぼし」は何かということが。 草野マサムネは、 うめぼしたべたいを「2回言っている」。 これが重要なポイントだ。 世の中に2つでペアになっているものはたくさんある。 例えば、男と女、善と悪、陰と陽・・・ しかしこれらは、対になっていても、前者と後者は違うもの。 同じ形をしているものではない。 いっぽう、足、手、目、耳、鼻の穴・・・ こちらは同じ形でペアになっている。 お気づきだろうか。 そう、人間の身体は、 「同じ形のペア」がたくさん集まっているのだ。 このことを踏まえて先ほどの うめぼしたべたいを「2回言っている」という事実をもう一度考えてみる。 うめぼし、うめぼし、君に会いたい ・・・これはメタファ(隠喩)だ。 君に付属するうめぼしを食べたいということなのだ。 「君」に2つついていて、 うめぼし的なもの・・・・それは・・・ 「乳首」である。 草野マサムネ、 この男、ドエロである。

2007年10月04日

批評家を疑う - なかむら手記 - 楽天ブログ(Blog)

批評家と作家が語った場合、 基本は言葉を介して語り合う。 これってずるくないか。 作家は造形や創作をずっとやってきて、 批評家は言葉や言語のプロフェッショナル。 作家はいわばアウェーで戦っているわけだ。 たまには批評家も造形や創作で作家と戦うべきだと思う。 文学だと言葉になってしまうから、あくまで視覚表現で。 でも、造形や創作ってレヴェルの差がはっきりしやすいことを知っているから、 批評家って形で応えない、のではないかと最近は疑っている。

2008年01月17日

限定ThinkPad

そろそろマジメな話をしないと、
人格がゆがんでいると思われてもしょうがないブログになってきたので、
少しだけシリアスに。

山崎和彦という人がいる。
昔IBMのデザイン部門にいた人。
あれ、今もいるのかな?ちょっと聞きそびれた。
今は千葉工業大学で研究室を持っている。

「使いやすさのためのデザイン」という本を書いたうちの一人で、
この本はUCD(ユーザーセンタードデザイン,User-Centered Design)という概念をもとにして
製品を作る上でどんなアプローチやプロセス、手法が有効かを述べた本だ。
IBMでのUCDの実例を紹介していて、かなり参考になる。
現場からのボトムアップでデザイン手法を構築していく実践例としては
かなり説得力がある部類に入るのではないかなあ。

僕自身がデザインするときに「ユーザが欲しいのは云々・・・」と言う場合、
ほぼ「自分自身」を指すことが多いように感じる。
自分のためにモノを作っているわけではないので、
「ユーザ」を理性的に検討しなきゃなと思うきっかけになった本です。

タイトルの「使いやすさのためのデザイン」というのも
D=A=ノーマン(アップルのフェローだった、インタフェース界の重鎮)の
「誰のためのデザイン?」に対する返答ともとれるところがニクい。

さて、著者の山崎さんについて、
wikipediaのThinkPadの項目を見ると、

この伝統とは一線を画すデザインが採用されるまでには、IBM社内で幾分議論があったようである。最終的にこのデザインを決めたのはIBMのデザイン顧問であったリチャード・サッパーであり、その過程での実質的な中心人物は、神奈川県にあるIBM大和事業所にいた山崎和彦である。山崎は、松花堂弁当の弁当箱をコンセプトにしてThinkPadデザインを創造したようである。

となっている。
要はThinkPadフリークの僕にとっては神のような人なのだ。


今日はその山崎さんの講義があったので、
いろいろお話をすることができた。

一番聞いてて考えることが多かった話。

デザイン手法を現場に落とし込む際に、
スケジュールや時間の制約は大きいという話をした。

優れたデザインをする手法、アプローチがあったとしても、
短期的な結果を求められる「現場」では実践しようにもできない。

例えば、ある大きな自動車メーカでは、
2年先の日程がすべて決まっている。
一つのボルト工場に行って、打ち合わせをする日取り・時間が、
一年前から決まっている。
社員はスケジュールを消化していくことが仕事になっていく。

こういった状況の中では
むしろ、制作進行を遅らせることはタブーとされてしまう。という「現実」。

結果がなかなか見えてこないところに余力を割けなくなったところが
日本の大企業の現実なのだろうか。どうなんでしょう?
大企業と言っても、いろんな会社があると思うんですが・・・
大企業に勤めている方、意見をお聞かせください。

たとえばgoogleなんかでは
一見遊びとも思える中から新しいサービスのアイディアが出てきたりしている。
こういったこと許容されてるデカイ会社って日本だとなさそうだよなあ。
「はてな」みたいな例はあるけど、小さいし。

いろいろ考えることが多い一日でした。

ついでに無理なお願いをして、
僕の昔使ってたx31(もちろんレノボに売却される前のやつ)を
「山崎モデル」にしてもらった。
うへへ。
thinkpadx31.jpg


せっかくなので、興味を持たれた方は
「使いやすさのためのデザイン」を読んでみてください。
amazonで買えます。

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