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3日目 "Guzen グーゼン強制収容所"

この日は
マウトハウゼン強制収容所跡の近くにある、
グーゼン強制収容所跡の住宅街でやっているイベントに参加。
かつてここでもホロコーストの計画が実行された。

まず、記念館でiPodを渡される。
iPodを聞くと、右、左、まっすぐと指示が出て、
ところどころで、その場所に関するストーリーを聞けるというもの。
ドイツ語か英語しか選択できないので、もちろん英語を選択。

さてさて最後までいけるかな。

iPodを聞いて、歩きはじめると、
住宅街の中へ入っていく。

今は平和な住宅街。
忌まわしいことは何も無かったのような空間が広がっているが、
ところどころにある塀や、壁、建物が
昔のSSの住居跡だったり、
それをそのまま再利用して住宅にしていたりする。

ドイツ語は分からないけど、間に挟まれる会話が、
凄惨だったかつての出来事を訴えていることは分かる。

ホロコーストについては日本の南京問題のように否定説があったりする。
日本の場合もそうだけど、たった60数年で真偽すら分からなくなってしまう。
歴史というのは脆弱なものだと感じる。

そう考えると、
大昔からの歴史の文脈に乗せて作品を作るということすら
疑わなければいけないとも思ってしまう。

こういった歴史に対する懐疑、これってたぶん相対主義がもたらしたものだと思うのだけど、
(歴史を疑うなんて、そりゃ、絶対主義からじゃ生まれるはずがない)
これがここ最近まで(90年代以降)のアートの原動力の一つだったと僕は思う。
松井みどりさんなんかはマイクロ・ポップなんて言ってたし。

歴史を疑った結果、
よりどころが、「現実を生きている私自身」に向かうのは当然だ。
90年代以降の作家のスタイルは、
私の周りや、私が考えている「リアル」なことを吐き出す活動が
目に見えて多かったように思う。

でも、「私」ばっかりになっちゃうと、
最初はいいけど、だんだん、理解できなくなっちゃうんだよね。

その反動で、これからは歴史というか「物語」に回帰する時代になっていくのかなあ・・・

と、いろいろ考えながら歩いていると

・・・道に迷った。

なんとか、記念館までたどり着いて、
スタッフのぽっちゃり系のお兄ちゃんに「助けてくれ」というと、
苦笑いで「やっぱり迷ったか」みたいな顔をされた。
来年こそは英語をしっかり勉強してこよう。

さて、僕のリンツでの旅はこの日でお終いです。

最後になりましたが、
僕の旅にここまでお付き合いくださいましたみなさま。
ありがとうございました。

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2007年10月01日 02:17に投稿されたエントリーのページです。

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